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茶湯者 

最近、星川清司著の「利休」を読んだ。
お茶人の千利休の話ですが、茶湯者として名が知れ始めてから切腹にいたるまでの話。

お茶を始めてから侘茶を大成させた人として、茶道の立場から利休にまつわる話は
いろいろと読んだりはしていたけれど、この本はもっと利休のプライベートな内容。
つむじ曲がりのぶらすけなどと呼ばれ、恋愛、結婚、武家に囲われ死にいたるまで。

今までは茶の湯の席での利休の並外れた感性に目がいって、私の中の利休は悟りきった
私利私欲のない侘びの精神一筋の茶人、といういうイメージができあがっていました。
もともと堺の商人の出というのは知ってはいましたが、その商人の心をずっと持って、
「商人というものは何事もそろ盤ずく」などと自分のことを何かにつけて言ってみたり
するのは小気味よい感じで親近感がわく。
でも織田信長に目をつけられて茶頭となり、秀吉にも求められて茶頭となったのはその
そろ盤からではなくて、他の茶湯者にはないカリスマ性のようなものがあらわれていた
のではないかと思う。
武将の世の茶頭としてその派手派手しい要望に従うことは、傍からは茶湯者の心をも売って
しまったように思われ、それでもその状況の中でもあくまでも自らの侘茶の世界をおしすすめた利休。
正確な理由は明らかではないにせよ、そのことが最終的には秀吉との摩擦をつくる一つの要因
になったといわれている。
武将の世に翻弄され、政治の世界でも力を発揮しつつ、でも自分の信ずる心は曲げず利休の茶を
遺したいという相当な心の葛藤があっての人生だったのだろう。
だからこそただ単に侘茶を一人極めたのではない影響が今なお残っているのかと一人感慨にふけ
っていました。

そして最後には自分の命と引替えにでも利休の茶を遺したいと思った真意は何だったのだろう。
信長との最初の茶の席で茶の湯の本意とは何かと聞かれ、利休が「人と人との交わり。正直に
慎しみ深く、決しておごらぬさま」と応えています。
人としてそうでありたいと思います。
それには全く程遠い自分を省みて、茶の湯修行をこれからも続けていかねばと思わされました。
まずはお茶を一服たててみるかな・・・


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[2011/11/26 00:25] Cérémonie du thé お茶 | TB(0) | CM(0)
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